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李粛(り しゅく、生没年不詳)は、中国の三国時代呉の人物。南陽郡の人。字は偉恭。 == 生涯 == 歩騭伝が引く『呉書』によると、若い頃から才能をあらわした人物で、特に人物鑑定が得意であったという。孫権に選曹尚書に取り立てられ、人材登用に優れた手腕を示した。後に自ら進んで桂陽太守となり、官民の信望を集めた。その後、中央に戻り卿となった。死期は不明であるが、突然死去したため、周囲は悲しんだという。 歩騭が太子の孫登に対し、荊州で仕事に励んでいる11名〔諸葛瑾・陸遜・朱然・程普・潘濬・裴玄・夏侯承・衛旌・李粛・周条・石幹〕の人材として、名を挙げた内の一人である。 若い頃の孟宗の学問の師となり、宰相の器足り得る人材であると評価された(『三国志』「呉書」三嗣主伝の引く『呉録』)。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李粛 (孫呉)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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